賀殿急、随の煬帝が作らせた「河傅」の曲を、遣唐使藤原貞敏が、廉承武より習い琵琶によって我が国に伝えられたといわれている楽曲です。
一名「嘉殿楽」「甘泉楽」「含泉楽」とも呼ばれている。破と急からなり、破を「嘉祥楽」と呼ぶこともあります。「古今著聞集」には、嘉保2年(1905)8月8日、堀川天皇の閑院(冬嗣大臣家)への行幸に際し、大江正房が儀式次第を前日に作成するとき、舞人の狛光季が、閑院が新築であることなどを理由として、「萬歳楽」に代えて、「賀殿」を演奏することを提案、勅許を得て奏されたとある。
「楽考」では、これをひいて、河傅と賀殿は字音が同じであるから、殿舎の新築をお祝いする楽にしたのであろうと。とされている。