この楽曲は中華の曲です。一名「見蛇楽」「還京楽」とも言われるみたいです。
「教訓抄」によると「この楽曲は、西国の人、好んで蛇を食する。その蛇を求め得て、悦ぶ姿を模してこの舞を作った。」とあるんだそうです。
この曲について「教訓抄」に記された話しは非常に興味深い点がある。
南都の大神晴遠の家に代々受け継がれてきた舞であったが、晴遠は、伝授しないうちに亡くなってしまった。しかし、2,3日後、生き返る。というのも、冥府において閻魔大王の裁きがあったときに、還城楽を未だ伝えていないので、釈迦大師の報恩のために修せられる興福寺の常楽会(釈迦入滅の日に勤められる涅槃会)に奉仕せよ、と帰されたというのである。
晴遠は、嫡男の是遠に伝授して、3年後に亡くなったという。この話は、「教訓抄」より30年後に著された「十訓抄」に取り上げられ、知られることとなる。